貧困、その定義は一日190円で暮らすことだと。そして世界には総人口の10%、7億の人がそれに該当するらしい。例えば南半球の人達。電気もなく、綺麗な水にも恵まれず、さらに十分な食料もない。そして医療も当然、恩恵を受けられない。
でも、貧困て、御金だけのものか、と思う。電気はなくとも水が豊かで自給自足できれば、経済的には貧困でも、食うには困らないでしょう。問題は、そうした生命の基本的な、しかも本来、平等に与えられるべき自然の恵みが、御金に換算されることでしょう。
太陽と空気と大地は自然のもので、だから人はタダで貰っていいはずデショウ。そういえば、司馬遼太郎さんが「本来、土地の個人所有は民主主義ではない」と、言ってました。地球はだれのものでもないはず、人間のみならず全ての地球生物の共有財産です。
では、貧困の定義をどうするか。お金だけではなく、生命を維持するに必要な栄養摂取で測ればいいのではないですか。まず、いい水がすぐ手に入る環境か、摂取カロリーは十分か、たんぱく質やビタミンはどうか。これらが満たされていれば、まずは安心。
次には情報や友人関係。どんなに食べ物に恵まれていても、友人に恵まれず孤独な生活なら人的貧困ですよ。そして、その人の生命維持に必要な情報が届いているか。たとえば、台風が来る、そこにいては危ない、という自然の脅威。さらに子供の予防接種などの情報。
そして、そうした情報に基づいての行動。キチンと予防接種が受けられるのか、安全なところに避難できるのか。こうしたことが、お金より大切なはず。でもこれも、お金だよね、って言われると、すごくかなしい。
withnews9月20日の「子ども貧困対策センター」の村尾さんのインタビューが、とても考えさせられます。「貧」と「困」は別個に存在するものという考えは、全くその通りだと思います。こちら

桜とイペー

オリンピックの記念硬貨が出るのだそうです。図柄はピンクの桜と黄色いイペー。イペーは、ブラジルを代表する花だそうです。高い木の上に爽やかなレモンイエローの大きな花が咲いて、とこからでも目につきます。
実家の近所にあります。一見、ケヤキかな、と思うのですが、ある日、花が咲いてビックリしました。それから、ブラジルのイペー、という木だと知りました。こちらはハイビスカスなど、比較的派手な花が多いのです。
でも、このイペーは、それに負けない鮮やかさと爽やかさを併せ持っています。そこだけ異空間という感じ。実家からはバス停に行くにもゴミ出しに行くにもその前を必ず通るので、その花を見るとちょっとした旅行気分です。
子供の頃、このあたりは畑でした。特にイペーのあるおうちは、桑畑だったと思います。でも母が「あそこは養豚所だった」というのです。何しろ学校に行く前の幼児でしたから、私が思い違いをしてるのですね。
養豚所だったら、きっと土は肥えているでしょう。イペーの下の植え込みの花も、とても元気です。おしろい花なんて、すごい高さで一つの幹から赤白咲いてますから。植物を育てるのが上手な人は、いいですね。
例えば、私と先輩が同じ条件で挿木した菊が、私のは根付かず、先輩のは育った、なんてこと、よくありましたから。植物と波長の合う人になりたいな。身長160cmの体重の計算について。